11/09/2017

ももクリ三年柿八年、柚子の大馬鹿十八年。

あるいは、「柚子は9年でなりかかる」とも言われているらしいが、引越してから3年目に小さな苗木を植えて今年は七年目だ。3メートルほどの樹高に成長して、予定より少しばかり早いようだが11個ついた実は一つも落果することなく頑張って色づき始めている。初めてまともな柚子が収穫できそうだ。


購入した苗木にに添付されていた写真ほどに大玉(おおだま)ではない(直径8cm弱)が、皮は分厚く香りもまあまあ。果汁もしっかり酸っぱい。ちゃんとした柚子だ。完熟したら皮を使って柚子胡椒を作って、実を柚子酒にしてみようか。



9/30/2017

ビスケ、元気にリハビリ中、だが・・・。

責任放棄の医療過誤病院を出てから2ヶ月弱経過して、ビスケは元気にリハビリ中だが、下半身麻痺の症状は退院以来ほとんど改善していない。しかしながら精神状態は良く、腸内バランスも健全に回復してきたようだ。とは言うものの油断はできないので代謝機能の低下を防ぐために甲状腺ホルモンを服用し、リハビリ補完のために各種サプリメントも欠かせない。

相変わらず便意を催すとトイレの場所へ到着する前にウンチは漏れてしまうが、適度な硬さがあるので悲惨な状態には至らないことがせめてもの救い。オシッコは散歩で外へ出るまで懸命になって我慢してくれるようになったが、排尿が終わったかどうかをはっきり自覚できないままの状態で歩き出してしまうので足元がその度に汚れる。

春以来の度重なる長期入院の経験をしたからなのか、極度の分離不安状態に陥っているビスケだが、歩けないことで茫然自失状態であった頃よりも自力で歩こうとする意思を強く持っているようなので、現在の自宅リハビリに加えて、今後新たに理学療法を試すかどうか検討中だ。

5月19日にビスケの脊髄をへし折った後、「責任を感じている、償いをする」と口先だけで、3ヶ月もビスケを狭い檻に閉じ込めていただけの病院の院長は、未だに何の償いもしていない。


9/01/2017

ビスケ、補助輪使って自宅リハビリ開始。8月7日。

8月7日、補助輪仕様のリハビリ開始。

麻痺している後肢にわずかに残っている神経伝達回路を覚醒させるためのリハビリにはこうした補助輪を使うことが一般的らしい。吊り上げず、引き摺らず、微妙な高さで後肢を地面に触れさせ、歩様感覚を呼び覚ますというわけだ。

入院中に使っていた(と聞いている)補助輪を持ち帰って、朝夕に用足しを兼ねて数分間づつ「歩かせて」いる。これなら排尿で自分の身体を広範囲に汚す心配はない。大便に関しては「しゃがんでいきむ」という姿勢が取れないので、ビスケ自身に違和感があるのだろうか、一箇所にとどまって排便できず、塊を落としながら前進してしまう。尻もちをついたまま自分のウンコを自分のお尻で押しつぶしてしまうよりは快適だと思うが・・・。

帰宅後この補助輪をにビスケ装着して見て、ちゃんとセッティングされていないということがわかった。ウンコの出口は上の補強バーが邪魔をしているし、歩様のリハビリを補助する器具だというのに、前進時に一方の脚が後方へ残ると、その脚を下の補強バーが容赦無く前方へ突き飛ばす、まともな脚運びを阻害している。親身になってリハビリをやってくれていたとはとても思えないね。「ワンちゃんの気持ちに寄り添う医療を心がけてます」なんて大ウソな病院。

また、入院中使用時に地面からの排尿の跳ね返りが両車輪にかかったものと思われるが、車輪全体にねっとりとした黄色い汚れがビスケの抜け毛とともに付着したままだった。おシッコの匂いが鼻を突く。立派な建物の病院のわりには衛生観念は希薄だったんだね。

回復のめどがいつになるか見通しの立たない状態なので、もう少し研究して本格的な補助輪をどこかで製作してもらうとして、とりあえず彼方此方いじくりまわして当面の問題は解決した。ウンコは補強バーに邪魔されることなくスムーズに下へ落ちるようになった。左右の後肢を交互にうまく動かすことができなくても、残った一方の脚が補強バーによって前へ押されることなく、下敷きにもならない位置と高さにセッティングした。

ビスケ、久しぶりの自宅で落ち着くも、不自由・・・。8月6日。


8月6日、ビスケにとって久しぶりの自宅。何もかも以前と同じであることを嗅覚と視覚で確認しながら、ホッと一息ついて安心していることがよくわかる。ビスケの表情は一気に良くなった。

最初の手術(4月30日)以前と違っている点は、だだっ広い田舎家の中を自分の脚で自由に動き回ることができないこと。段差の大きい和室部分へ移動するには人の手助けがなければ不可能になったこと。この後肢麻痺状態が続くようなら、就寝時にヒトのベッドに登ってきて、寒くなれば猫のように布団の中へ潜り込んで熟睡する、などという贅沢は、望むべくもない。

退院初日、リビングルームに緩衝マットと夏布団を敷き、ここにビスケを寝かせた。僕はその横でソファ寝。とりあえず寒い季節が来るまではこの状態で暮らそう。そして深夜、午前2時過ぎ、なんとなく異常な雰囲気で目覚めた。終夜灯の下、ビスケが居ないことに気づいた。かすかに香ばしい匂いが漂ってくる。事態を察知してリビングルームからバスルームへつながる方向へ急いだ。ビスケは廊下の終夜灯の下で尻もちをつき、呆然とこちらを見上げていた。廊下へ設置した60cmX40cmの仮設トイレの中ににわずかながら排尿した後があるものの、その遥か手前におシッコの海が・・・、そしてその先数カ所に大きめのウンコが散乱しており、いくつかは自分のお尻で押しつぶした跡がある。あたり一帯にはおシッコとウンコだらけ・・・。

状況から推測するに、便意を催して目覚めたビスケは後肢を引きずりながら仮設トイレに向かった。しかしおシッコが間に合わなくて、途中で床上に大量にに排出してしまった。それでも尿の海の中に倒れこまなかった証拠におシッコ溜まりは石の床の上で綺麗に表面張力したままで乱れていない。その先へ進んだところで、制御できなかった肛門からウンコが出たのだろう。その場所で踏ん張ろうとしても、後肢で下半身を支えることはできず、ウンコの上にお尻を落としてしまった。それでも頑張って仮設トイレまで、前肢だけで体を動かし、到達して、残りのおしっこを出し切った。しかしそこからリビングルームへ帰り着くにはウンコの山とおシッコの海を横切らなければならない。今のビスケには不可能だから、困り果てて控えめに声を出したのだろう。

ビスケの身体を綺麗にし、床の後始末をしている間、ビスケは無言で、申し訳なさそうな眼差しをこちらへ向けたままだった。

後肢以外の神経回路についてもちゃんと働いていいないのだ。 排尿そのものはできているが、尿を出すタイミングは自分の意思でコントロールできないようだ。明らかに自分の感覚と実際に排尿されるタイミングには大きなズレがある。排便に関しても自分の意思の通りにはコントロールできていない。便意を催してからその然るべき場所へ移動しようとするのだが、その前にすでに便は肛門から出始めている、ビスケ自身は排便が終わったと思った時点では、まだ便が出続けている。直腸や膀胱と脳との間での信号のやり取りは途切れ途切れであることが見て取れる。

ビスケは自身が望まぬ場所で排尿、排便をしてしまい、汚した場所を見つめて明らかに困った顔をする。黙って片付けをするこちらを見つめたまま身じろぎもしない。ワンコだって「垂れ流し」はしたくない、恥ずかしいと思っているのだ。





ビスケ、「打つ手がない」と院長から言われて連れ帰った。8月5日。

8月5日、ビスケとの面会。
週末ということもあって、病院は商売大繁盛だ。診察は40分待ち。院長から話があるのでしばらく待ってくれと言うから、2時間以上をビスケとともに過ごし、やっと話を聞いた。

院長「入院治療のビスケのストレス蓄積を考えると退院して自宅でリハビリをする方が良いかと・・・・・・・・・・・」

私「そんなことは、私がこれまでに何度も申し上げている話じゃないですか。それなのに院長が『責任を持ってビスケの神経回復に努めたい』と言い続けたから、ストレスのの負荷を覚悟で長期入院を続けさせているんですよ。」

院長「徐々に機能は回復するのではないかと期待はありますが・・・・・・・・・・」

私「重度の脊髄損傷を負ったヒトやイヌが『自分の足で歩きたい!』と言う強い意思で厳しいリハビリを続けて、奇跡的な回復をした話、事例は私も知っていますよ。しかし今の院長の立場でビスケにそれを言うのはあまりにも無責任では?」

院長「・・・・・・・・・・・・・」

私「この先々、ビスケの麻痺回復のために、新たに医学的、医術的に具体的な打つ手があなたにはあるのですか?無いのですか? 何か他の手段を考えているのですか?」

院長「医学的には云々カンヌンだが・・・・・具体的にできることに関しては云々カンヌン・・・・・・」

私「それは、もう、わかりやすくハッキリ言えば、すっかりお手上げ状態だ、ということなんじゃないですか?」

院長「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

私「そういうことならば今日、直ちにビスケを連れて帰ります」

院長「え、今日ですか・・・・?」

私「これ以上ビスケをここに居続けさせる意味がありません。そんなことも有り得るかと考えて請求書を用意して有りますので確認して支払いをお願いしますよ。(1)これまでお支払いしたビスケの医療費は全額返還していただきます。(2)今後のビスケの生活介護費用を60ヶ月分(想定されるビスケの寿命生活期間充当)を補償して頂きます。(3)これまでのビスケの医療データは全てを引き渡していただきます。」

院長「治療費の返還と医療データ引き渡しについては・・・了解しますが・・・・・・、介護費用の補償はできません」

私「そうですか、これから先、障害を抱えたビスケの生活は介護、介助がなければ成り立たないことはご理解なさっているはずですよね?。しかしそれについてあなたはあずかり知らぬ、関知せずと言うわけですね? 院長は何度も自らの医療過誤の責任を認め、責任を取るとおっしゃったはずです。何度も、「償いをする」と発言されたはず・・・。」

院長「・・・・・・介護補償は・・・、この金額は・・・・・できません・・・・・」

私「そうですか・・・・、院長の言う償いはやはり口から出まかせだったと言うことを理解しました。当方は法的に争うつもりはありません。あくまでも院長がおっしゃった重大なミスを自ら償うというお気持ちがいかほどのものであるかということに強く期待しているだけです。再考してください。」

院長「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

私「銀行営業日の週明けまで2日間あります、それまでによく考えておいてください」

院長「・・・・・・・・」



帰宅できるんだとわかって喜ぶビスケをクルマの後部座席に乗せて、不注意な医療過誤を起こしたにもかかわらず償いを拒否する病院におさらばした。途中でビスケの主治医であるK獣医師の病院へ立ち寄り、本日退院の経緯を報告した。K獣医師は医療過誤を起こしたこの病院との交流があり、立場的には複雑な心境であるとは思うが、事の顛末、起きたことの全てを曖昧にしておきたくなかったからあえて話した。

医療現場では不可抗力で起きる事故というものもあるだろうということは理解しているから、ビスケの身体に起きたことが手術中に起きたことであったのなら、ビスケにとって不都合な結果に終わっていたとしても、これもビスケの運命だと受け止めることもできただろうが、今回のケースは医療従事者にあるまじき不注意から起きた初歩的なミス、許し難い医療過誤であったから看過できないと考えている。ビスケの下半身は完全麻痺しているのですよ。

さらに、事故直後、重大な事故を起こした事実を隠そうとした、下半身全体が麻痺硬直し、尻餅をついたままで呆然としているビスケを横目に「今日は痛み止めを打っておきました。予約入れましたので3日後に改めてご来院ください」と言って、そのままビスケを連れて帰らせようとした、卑劣な態度をとったことは許せない。レントゲンを撮る前まではビスケは元気一杯に走り回っていたのだ。この院長の獣医師としての能力は存分に発揮されて、ビスケの重度の椎間板ヘルニアは手術によって完璧なまでに治癒していたのだ。院長はやがて学会で発表するときに使うであろう予定の「完治して走り回るビスケ」の姿を、満足げに動画に撮っていたのだ・・・。

の医療過誤の罪の重大さはこの院長自らが最もよく理解しているはずだが、しかし、まぎれもない医療過誤であるにもかかわらず、そのことを彼が認めたのは翌日になってからだった。言い逃れができないなと判断してからは、その後2ヶ月間は「責任を果たしたい、償いをしたい」という言葉を発し続けたが、しかし所詮口先だけだった。責任を果たさない、倫理観の欠けらも無い。



8/03/2017

ビスケ、連れて帰れなかった。8月1日。

8月に入った。ビスケに面会。

ステンレスボックスから出てくると猛烈にスリスリしてくる。
三日おきに面会に来るたびに、ビスケのスリスリ度合いが強くなる。
帰りたい気持ちがますますエスカレートしている。

ビスケの下半身の麻痺症状に変化無し。特に左脚には全く感覚無く、真っ直ぐ突っ張ったまま内側に捻じれている。したがって自力で立ち上がることは依然として不可能。
甲状腺ホルモン、抗生剤、下痢止め、サプリメント(種類不明)等々を飲んでいるという。
今日はビスケを家へ連れて帰る用意をして来たのだが、院長不在だったので中止した。

排尿のキレが悪くなっている。排便もスムーズに行われていない。

大便を自らの意思で排出しているというよりも、直腸に溜まったものが後から降りてくるものの圧力で無理やり押し出されているといった感じだ。麻痺が脚以外の部分に及んで各所、各機能に神経障害が出てくることが怖い。

ビスケの世話係をしてくれているという二人の女性看護師の、ビスケに対する優しさがホンモノであることを信じて、今日も一人で病院を後にした。


【俺の元気な脚を返してくれ!】


7/29/2017

ビスケ、麻痺症状に変化無し。7月28日。

7月28日のビスケ、入院しているステンレスボックスの扉を開けてやると、前肢だけで転げ落ちるようにして外へ出て、身体をすり寄せる。ビスケがこの場所で心穏やかに日々を過ごしているわけではないこと、家に帰りたい気持ちが強いことがひしひしと伝わってくる。

介助して立ちあがらせても、そのままの姿勢を維持することはできずにビスケの下半身は崩れ落ちてしまう。23日となんら変わりは無い。二週前にはあった肉球の痛覚反応は全く消えているし、痙攣反応も全く無い。にもかかわらず院長は平然と「医師の目から専門的に見て後肢には徐々に随意反応が見られるようになっている」と言う。専門家だろうが素人だろうが見れば解る。後肢はダラリとぶら下がったままだ。

7月9日に補助輪を使ってリハビリを始めた直後、わずかに3〜4日間、後肢左に随意反応とやらが見られたが、15日以降、下半身の動きは急速に失せていき、麻痺は再び進行している。今日も前肢を使って立ち上がることはどんなに頑張ってもできなかった。左右後肢の大腿部から下が全く機能していないのだ。面会している三時間余りの間に、尻もちをついたままで大便を三度漏らした。我慢できずに出す大便を自らのお尻の下で潰したまま、身動きができない、ビスケにとっては屈辱的だ。

レントゲン撮影時の医療過誤による脊髄損傷は大きかったのだと考えざるを得ない。この先々重篤な排尿障害、排便障害が再発する可能性を排除することはできない。そうでなくても日を追う毎に体調は全般的に悪くなりつつある。血液検査によって総合的に免疫力が落ちてきていることは明白になっている。それを投薬でいつまでもカバーし続けることはできない。薬漬けのビスケの肉体にはいずれ大きなツケが回ってくる。

抗生物質の投与は1月ごろから始まって既に7ヶ月、ビスケは短期間に二度にわたる手術を受け、抗生物質、痛み止め剤等の各種薬の投与を受けてきた。ヒトもイヌも薬剤性難聴という、回復しにくい副作用に留意しなければならないことぐらいは知っているから、「ビスケは3月ごろから急激に耳が聞こえなくなっている。抗生物質などの副作用ではないかと思うが・・・」とさりげなく振ってみたが「そんなことはない」と院長は言下に否定した。素人の意見に耳を貸さない医師特有の態度に誠実さは感じられない。

また、「先生の見解に相違するが、ビスケの症状が良い方向へ向かっているようには見られない」と指摘すると、三度目の完全麻痺直後に起きた「排尿障害、膀胱炎症状を治療努力で改善させた」と唐突に、強い口調で主張した。そもそもビスケがそのような事態に陥った因果関係はいかなるものであったのかということを彼は考慮していない。とかくヒトという動物は自分に都合の悪い状況下で本能的に自己防衛意識が働き、攻撃的な態度をとる、もしくは沈黙する。

医療過誤から70日が経過した。具体的な見通しと責任の果たし方についての院長の言葉はどんどん曖昧になっており、最近は沈黙が多い。自ら(病院)が「加害者であることは自覚はしている」と繰り返し言うが、しかしその責任の果たし方については、当初の「医療事故以前の状態へ戻すべく努力する」から最近は「努力はするが、回復の可能性についてはなんとも言えない」という方向へ後退している。にもかかわらず、回復させることを「あきらめてはいない」としか言わない(言えない)この医師は、当ての無い希望の残酷さとか、脊髄損傷が及ぼす影響が後肢の麻痺にとどまらず内臓機能にまで及ぶ危険性とか、長期入院の諸々のリスクとか、ビスケの家族が被っている心の痛みと経済的損失についてまでは思いが至らないのだろうか・・・。

ビスケのストレスを最小限にして回復治療を行うのだと言う医師としての決意が真剣なものであるならば、直ちにビスケを自宅に帰し、日に三度のリハビリとレーザー照射治療、その他諸々の各種治療や検査も含めて、毎日往診をすると云うぐらいの覚悟があってもよかろう。ビスケにとって、下半身不随にされた罪を償ってもらう方法としてそれ以上はあってもそれ以下は無いが、彼にそこまでの覚悟は無いだろう。何れにしても医療過誤のあった5月19日の朝の状態までビスケが回復しなければ、彼の言うところの「償い」が完遂できたと言えないことだけは確かだ。

周辺で高い評判の病院経営、そして専門医としての豊かな知識と優れた技術、これまでの豊富な治療実績などを信じているからこそ、そこに一縷の望みを託してここまできたが、もうそろそろ決断しなければならない時かもしれない。手遅れにならないうちに。


7/23/2017

ビスケ、下半身完全麻痺に逆戻り。7月23日


5月19日に医療過誤、24日に再手術、6月6日の退院直後から再び下半身完全麻痺して9日に再々入院、そして一ヶ月後の7月7日にやっと自力で、前肢を使って立ち上がり、その後の補助輪を使ったリハビリで7月11日には左足先に痛覚が戻り、15日には何度も何度も自分の意思で器用に立ち上がり、よろけながらもウロウロすることができていた。しかし4日前の19日には左脚が麻痺状態に戻っていて、立ち上がることはできても姿勢を変えようとすると簡単に倒れてしまっていた。


そして、今日、右足も含めて腰から下は三度目の完全麻痺。医療過誤直後の状態に逆戻り、動き始めていた左脚と元々動いていなかった右脚の両方が完全に麻痺している。4日前には反応していた肉球の痛覚も全く無くなっている。後肢が木偶の坊状態で突っ張っているから前肢を使っても立ち上がることはできない。膝行りで移動することすら困難になっていた。上半身の筋肉がかなり落ちているので、2Kgも痩せたにも関わらず自分の体重を持ち上げることができなくなっているのだ。

ビスケの眼差しは茫然自失。「なぜ動けないんだ・・・?」と言っている。7週前、そして10週前に完全麻痺した時の哀しげな眼差しに戻っている。


この2ヶ月間、自力で動くことのなかった右脚の大腿筋は左脚のそれの半分ほどにやせ細っている。院長が「リハビリとともに自分で脚を動かすようになっていた」とムキになって主張しても、ビスケの右脚の筋肉の喪失が、そうではなかったことを証明している。

毛艶は全身で完全消失している。数日前から大便が柔らかくなったのを薬で抑えているという。左目は赤く充血している。口内の歯肉は白っぽい、止まっていた目ヤニが間断なく出ている。同じく止まっていた耳垂れも出始めている。抗生剤投与を中止した途端に現れた症状だ。明らかに免疫力が低下してきていることを意味している。腸内環境が悪化しているのだ。

今日はいつもと違ってビスケに面会する前に院長に呼び止められた。そして「少し調子が悪くなってきている」と言われた。「私はすでに19日の時点でビスケの調子は15日よりも悪くなっているように見える、と言ったが取り合ってもらえなかった。今日は連れて帰って自宅でリハビリをするつもりで来たのだ」と返したが、院長は「全員で一所懸命に真剣にやっている。まだ諦めてはいない」と主張する。

双方の考えていることのギャップが埋まらないまま時間を無駄にし、やっとビスケの顔を見て、尻もちをついたままのビスケの姿に愕然とした。「少し調子が悪くなっている」どころの話ではない。完全に下半身は麻痺状態に逆戻りしていたのだ。怒りの感情を抑えるのに苦労した。

面会を喜び、身体をすり寄せて来て顎を膝に預ける動きが今日は全くできない、ひょっとすると痛みがあるのかもしれない。不安そうにこちらを見上げるだけのビスケを見ながら、たとえ完全介護による不自由な生活を強いられても、下半身麻痺の身体のまま自宅へ帰ることがビスケの幸せなのか、それとも体調管理に万全を期するよう医者に託して、僅かでもあると言うなら回復の可能性に賭けてリハビリを続けさせることが幸せなのか・・・、不自由な身体で暮らすストレスは容易に想像できるし、長期にわたる入院生活でのストレスもまた間違いなく大きい。思案のしどころだ。

ヒトでもワンコでも、脊髄損傷で完全麻痺した下半身を、諦めないで、根気よくリハビリ治療を続けることで、執念で、奇跡的に運動機能を回復させた例もあるということは理解している。しかし愛情と念力だけで快復させられると言えるほどに楽観的になっているわけでもない。ビスケに「まだ諦めるなよ」と言い聞かせてまた今日も一人で帰宅。

7/19/2017

ビスケ、治療は依然として捗々しくない。7月19日。

4日前に比して今日のビスケは元気が無かった。

前肢を使っての立ち上がり方が弱々しい。一度では立ち上がれない。毛艶がどんどん悪くなっている。左目が真っ赤に充血している。看護師の話では大便がさらに柔らかくなったと云う。表情が良くない。明らかに体調が悪いのだ。そりゃそうだろう。明けても暮れてもアレヤコレヤと薬を飲み続けさせられて、入院と言えば聞こえがいいが、実態は窮屈なステンレスの箱の中に閉じ込められているのだから、気丈夫に見えてもビスケのストレスは溜まる。

おまけに下半身は自分の思い通りに動かないのだからストレスは倍加する。体調を維持するのは難しい。腸内環境の悪化、つまり悪玉菌の増加で免疫力低下からくる各種症状が出ていると容易に推測できる。もうガマンの限界かもしれない。今日もステンレスボックスの格子戸を開けてやるとビスケは前肢と上半身だけを使ってこちらへいざり寄り、激しくボディーコンタクトをしてくる。自分の家へ帰りたい気持ちを思いっきり伝えようとする。

15日に比して明らかにビスケの体調は良くないし、苦労して立ち上がっても大腿部を自分の意思で自由に前後に動かすことは依然としてできていないのだ。特に右足は腰からぶら下がったまま引き摺っている。4日前はぬか喜び、やはり歩様と言うには程遠い。にもかかわらず院長は「7月末をめどに考えてます」と云う意味不明な、あるいは伏線を張るようなセリフをさりげなく発した。今日のところは思うところがあってあえてその真意を正すことはしなかった。

これまでは「1ヶ月、あるいは2ヶ月、もう少し希望を持って、もう少し預からせて・・・」と言い続けてきた院長だ。医療過誤直後に「5月19日の朝の、事故以前の状態に戻すべく、自分の知識と技術を駆使して努力します」と言ったことを彼はまだ覚えているのだろうか。手術後のビスケの脊椎がどのような状態であるのかということを考えた上でレントゲン台の上にビスケを横たわらせることをしていれば防げたはずの、実に許し難いミスでビスケの一生を台無しにしてしまったことに対する罪の意識と反省があるのかどうか甚だ疑問だ。喉元は熱さをすぐに忘れてしまう・・・。

ステンレスボックスの中で「今日もまた置いていかれる・・・・」と悲しい眼差しを見せるビスケに背を向け、診療室を出て、「そろそろキメねば・・・」と考えながら暑い中を帰途についた。


7/16/2017

ビスケ、不安定ながらも歩様に後肢が伴ってきつつある。7月15日。

ビスケのリハビリ入院生活はどんどん長期化しているが、少し変化の兆しも見られる。
4日前には動かなかった右脚が時折痙攣しており、肉球を抓ると反応するようになった。

ここ数日のリハビリで前肢を使う時間が増えたからなのか、胸骨の周囲の筋肉が僅かながら回復方向にあるようにも思える。今日は前肢を使って度々うまく立ち上がることができ、院内のなめらかな床の上を、後肢を引き摺りながらよく歩いた。と云うか、移動した。

前進するときにおぼつかないながらも後肢は追随しているが、右脚のナックルは前方向へ出すことができていないので路面状態の悪い場所では転びやすいだろう。大腿部に関しては、左右いずれもまだまだ自分の意思通りには動かせていないようで、踏ん張る位置がずれてしまうと体勢を立て直すことはできない、ずれた脚の位置を修正できないのでそのまま倒れて尻もちをついてしまう。

歩様と云うにはまだ早いが、ビスケが自力で立ち上がって、平らな場所であれば行きたい場所へ移動できるようになったと云うことは、入院生活のストレスが少しでも軽減されていると信じたい。表情から不安感とか暗さは消えてきた。前肢で引っ張って前進し、後肢を動かそうとする自らの意思が麻痺した神経を刺激して、回復に効果があることを期待したい・・・。

施術した場所の4つの脊柱が湾曲したまま固定されていることへの疑問と先々への不安はやはり拭い去ることはできないが、ビスケが自分の意思で五体を動かして歩くことのできる生活に戻ることができれば・・・。





7/11/2017

ビスケ、補助輪によるリハビリで神経回路は蘇るのか。7月11日

7月11日、今日もビスケを見舞う。

7日には尻もち状態で左後肢に痙攣が見られた。これは神経回路に変化が生じた兆しではないかと期待をしたのだが・・・。8日にリハビリ用の補助輪が完成したということで、これを使って後肢の歩様を促すリハビリを開始したという。


前肢を使って腰を持ち上げることができるようになってはいるが、見る限りにおいてこれは決して後肢の麻痺の状態が改善してきていると云うことではなく、単に前肢だけを使って立ち上がるコツをビスケが習得した、不自由な状況に適応できたということに過ぎない。8日から始めた補助輪でのリハビリを続けることで、自らの意思で後肢を動かそうとし、脳からの指令が麻痺した脊髄の回路を復活させることができるかどうか、そこにかすかな望みを託して。


補助輪への適応具合を実際に確かめようと思い、診療室のバックヤードからビスケを室外へ連れ出そうとしたら、「うちへ帰れる!」と早合点したビスケは猛烈な勢いで、そこかしこに補助輪を引っ掛けながら外へ向かって突進した。・・・。


病院の駐車場へ出ると、数多くの車の中からあっという間に我が家の車を見つけて一目散に駆け寄り、後部座席のドアの前に突進・・・。ビスケの気持ちを思うと胸が痛む。だけど自力で歩けるようにならなきゃ・・・。


7/09/2017

ビスケ、なんとか立ち上がる。7月7日。

医療過誤で下半身完全麻痺してから2ヶ月弱経過。リハビリマッサージ、レーザー照射、温浴などの治療の効果なのか、ビスケ自身の歩こうという意志の力のなせる技なのか、今日のビスケは自力で腰を上げた。左後肢のナックルは常に痙攣している。感覚が戻る前兆なのか?

左右の後肢を交互に出して歩くことはできていない。前肢の力で下半身を引き摺って歩いている。これは医療過誤直後の状態のままだ。方向転換はできない。横を向いたら腰が砕ける。尻もちをついたら膝行り歩きをするしかない。


明日、やっと歩行訓練用の車椅子が出来上がってくるという。もう少し預からせてくれという院長の言葉に希望を託して一人帰宅。



ビスケ、今日も立ち上がれず。7月1日。

7月1日。
私が面会に訪れるとお自宅へ連れて帰ってくれと訴えかけるビスケの眼差しは強く、息遣いが激しくなる。膝の上に上体を預けて動かない。不安な表情は消えつつある。悲しい哉入院環境に適応しつつあるのだ。

しかし、後肢の麻痺状態に改善は見られない。尻餅ついたまま前肢でモゴモゴするだけだ。
「少しづつ良くなってます」
「自ら脚を動かすようになってます」
などと色々、臆面もなく言う院長に不快感を覚える。
「自ら立ち上がることができないし、何も改善されているようには見えないが・・・」と反論してみるがそれも虚しい。

歩行のリハビリ用に製作していると言う車椅子は修正に次ぐ修正だと言うことで未だに出来上がっていないようだ。私はまだ現物を見ていない。「可能性のある方法を試したいのでもう少し預からせてくれ」と言う院長の本音はどの辺りにあるのだろうか。

自分の意思で、持ち前の根性で頑張って立ち上がれ、歩け。とビスケに向かって言い、フィラリアの薬を飲ませ、フロントラインを滴下してから一人で帰宅した。

ビスケ、膀胱炎の症状は落ち着いた。6月28日。

6月28日、三日に一度の面会をしてきた。

看護師の女の子は、「ビスケちゃん、足を動かしてくれるようになったんですヨォ」と、気休めを言ってくれるが・・・・。相変わらず、4月30日の手術前の状態までにも回復していない。


リハビリ用の車椅子を何度も何度も調整して歩かせているというのだが・・・。

膀胱炎の症状が落ち着いておしっこがちゃんと出るようになったというのでホッとした。

医療過誤からすでに1ヶ月と1週。



ビスケ、変わらず・・・。6月24日。

6月24日、今日もビスケに面会するために病院へ行った。昼休み時間にかかったたので待合室「客」はいなかった。僕の顔を見ると神妙な顔をする院長も院内には見当たらなかった。バックヤードには看護師が2〜3名居るのみ、入院用ケージは、ビスケを除いて他は全て空っぽだった。

ビスケは小さなステンレスボックスの中からいざりながら這い出てこようとした。しかし後肢が自由に動くことはなく思いは叶えられない。抱っこしてケージの外へ出すと間も無くうんちを漏らした。体重は9Kgを切っていると言う。筋肉がどんどん落ちているのだ。胸骨周りと股関節周りはガリガリに痩せてそれぞれの骨が浮き出ている。体力の低下が心配になる。

陽が暮れて診療室内にヒト気がなくなるとビスケが悲痛な鳴き声を上げる、と若い女性看護師が言った。生まれてこのかた10年有余、ヒトとの添い寝以外では安眠できなかったビスケが、あの、小さなステンレスボックスの中で夜の闇の中、おそらく九時間以上の時間をひとりで過ごしている日々を思うといたたまれない。

女性看護師は、ビスケは少しづつよくなっていると言うが、気休めだ。下半身はブラブラだもの。後肢を動かして立ち上がることは不可能だ。4月30日の最初の手術を施した日以前よりも悪い状況にあることに変わりはない。医療過誤後の再手術からすでに1ヶ月経過している。

リハビリ用の車椅子を作っていると言う。ビスケの体躯に合わせて修正をしているのだと。その車椅子が来たら歩きながらリハビリさせると言う。限りなく信じていないが、限りなく信じるしかない。

幸いにしてビスケの食欲は衰えている様子はない。持参したビスケットも美味しそうにペロリと食べてくれた。目視するかぎりでは便の具合は悪くはなさそうだ。看護師の話によれば尿の排出は正常化しつつあると言う。同じく持参した歯磨き用の馬のアキレス腱の干物も今日は喜んでガシガシ噛んでくれた。

兎にも角にも歩けるようになってほしい。
何が何でも歩けるように、医療過誤以前の状態に、完璧に戻してほしい。

戻せ!

そう念じてまた、心の中で泣きながらビスケを病院へ置いて帰って来た。



ビスケ、再手術から25日経過。6月20日。


6月20日、面会。
病室(箱)から出て抱っこされている間は興奮が収まらない。

医者が「治療を続ける猶予期間を」と言った1か月がほぼ経過した。腰(股関節)から下の状態は全く変わらない。完全に麻痺しており、自力では立てない。介助して立たせても腰から崩れ落ちる。

排尿困難な状態からは脱したようだ。だから俺は何度も言ったじゃないか。ビスケは自分のテリトリー範囲内では排泄はしない。ひたすら我慢するのでカラダに悪い。病室(箱)のすぐ外でもいいから排泄シートを敷いてくれればそこで用をたすから、垂れ流しにさせないでくれと・・・。

膀胱炎になってから慌てて外へ連れ出して排尿をさせることにしたようだ。「先週よりも勢いよく排尿している」と看護師は言っている。排便も腰を支えて介助して、根気よく時間をかけてくれれば良いと思うのだがそこまではやってくれないだろう。俺が面会に行って抱っこするたびに出しきれていない大便を漏らしてしまうビスケを見ればそれは明らかだ。

ビスケを温浴させたら少し状態が良くなったと院長は言う。だから俺が言ったじゃないか。入院していても大した治療をしないのなら、ビスケを連れて帰って毎日温浴させて、血行促進のリハビリをするから、と・・・。今後の成り行きを恐れているのか、それとも心から自らの医療過誤の責任を真摯に受け止めているのかわからないが、彼は「もう少し時間をください」と言った。リハビリ用に作った車椅子の修正をしていると言う。

病室(箱)に戻すとビスケはうなだれる。大好きな馬のアキレス腱のガムを与えても見向きもしない。「え?今日も置いていかれるの?」と目が語っていた。まだ諦めない。

治せよ。

ビスケ、麻痺症状変わらず・・・。6月16日。

6月16日、片道一時間かけてビスケの入院先へ面会に行く。

ひょっとすると13日の状態よりも回復しているかもしれない、などと期待するも虚しくビスケの下半身は完全麻痺のままだ。それどころか後肢の筋肉の麻痺だけに留まらず、排尿、排便が著しく困難になっている。膀胱炎も発症。5月19日以前どころか4月30日の手術前よりもはるかに悪い状態だ。ブラッシングもしてやれないし、シャンプーもしてやれないのでフケだらけになっている。それでも病室(箱)を出て僕の膝の上に座っている間は終始うれしそうにしていたビスケの顔を見て少しだけ安心した。

造影剤を入れて全身麻酔してCTを撮らなきゃ新たな問題箇所の特定はできないのだが、度重なる全身麻酔も含めて小さな身体にはあまりにもリスキーな処置。三度目の手術をやるとしても、そのための全身麻酔リスクもさることながら次は感染症のリスクまである・・・。

病室(箱)に戻すと、ビスケは置いていかれることを察してうなだれた。
ギリギリまで我慢して、たとえ1%でもあるものならば院長の技術と人格を信じてみる。



ビスケ、悪化。6月13日。

6月13日、面会のために病院へ行った。病院からの心のこもらない中途半端な電話報告はかえって不安を感じるだけだから不要だと断っていたので、4日ぶりにビスケに会うのが怖かった。

心配は的中し、9日朝の状態よりもさらに麻痺は進んでいた。わずかに動かしていた左足も動かなくなっていた。19日の医療過誤直後の、腰から下が完全に麻痺した状態に戻っていた。さらに悪いことに排尿が困難な状態となり、膀胱に尿が溜まって悪性細菌繁殖を起こしているという。排便にもかなり苦労している。

わずか3日ぶりなのにビスケは見てわかるほどに体重が落ちてげっそりしていた。毛艶が無いというよりもパサパサな状態で、体調が悪くなっていることは歴然としている。過剰な投薬や注射の悪影響もあるのではなかろうか。

ビスケの目は虚ろだ。

院長は回復させるための方策について明るい見通しを語れない。度重なる全身麻酔をしてCT撮影することに関しては、造影剤注入も含めてリスクが高くて、見通しは立たない。ということは、重度の麻痺の原因となっている場所の特定ができない。そんなことは素人でもわかる。仮にそれができたとしても、ビスケの脊椎にはすでに大きな穴が何箇所も開けられ、インプラントのピンを8本も打たれ、石膏で固められているのだ。3度目の手術のリスクは限りなく高い。3度目の手術が成功したとしても体力の落ちたビスケの身体では感染症のリスクも高い。八方塞がりだ。

話を聞いていて、悲しみと怒りが交互に胸の内をぐるぐる回る。



ビスケ、再び半身不随・・・。6月9日。



5月24日の再手術とその後の治療によって完全麻痺は回避できたと、6月6日に病院から連絡あり入院していたビスケを連れて帰った。

帰宅直後のビスケの歩き方はヨタヨタとしていたが、久しぶりに我が家に帰って表情は和んでいた、が、しかし後肢の動きはどう見ても4月30日の手術日以前よりも良い状態であるとは言い難い状態だった。

そして翌日には、ビスケは立ち上がるのに苦労するようになり、排泄の踏ん張りは限界状態となり、明けて8日になると、なんとか立ち上がるものの立ち姿勢を1分と維持できず、排泄時の踏ん張りはできなくなり、同日夜には後肢を前へ伸ばしたままで尻餅をつく状態となって自力で立ち上がることが不可能となった。医療過誤直後の状態へ逆戻りだ。あの院長は何をもって回復していると診断したのか。ますます不信感が募った

言いようのない不安に満ちたビスケの眼なぜ下半身が動かない?4月30日の手術の1週間後には以前のようにキビキビと身軽に動き回れるようになっていたのに。5月19日に病院のレントゲン台に押さえつけられた時の激しい痛みの後、それっきりだった。俺の脚はどうなっちゃんたんだ?なぜ動かないんだ?二度も背中を切り裂かれて、脊椎に穴を開けられ、背筋を曲げられて、その結果が下半身不随か?ビスケの眼はそう言っている。

5月19日の医療過誤の翌日、院長は再手術の費用とそれ以降の入院代を病院が負担すると言った。当然だろう。しかし過誤のあった当日までに私が支払った治療費(かなりの高額だったが2週間後には元気になったので納得していた)を返却するとは言わなかった。そして6日の退院時、再手術以降に施したレーザー温熱治療とリハビリの理学療法費用(これまでの治療費総額の10%にも及ぶそれなりの高額)を支払えと言った。医療過誤がなければ不要だったはずの費用なのではないのか?、これは病院が負担すべきものではないか思った。そして治療費の話よりも何よりもビスケの回復の可能性について真剣に語るべきじゃないのかと不快だった。腑が煮えくりかえったが、ビスケの回復治療に向けての院長の意欲を削ぎたくはない。そのことに注力させたい、無益な争いをしている時ではないとの一心で怒りに蓋をして、支払いを済ませた。その二日後にビスケは再び下半身不随に逆戻りしたのだ。悲しみと憤怒。

ビスケがかかりつけにしているK医師(誠心誠意を尽くして動物とその保護者に接するK医師の姿勢は尊敬に値する)からこの病院を紹介された。建物や付帯施設、医療機器、スタッフの数などいずれも首都圏の大病院に比しても見劣りしない規模で、診療、治療費が他に比して割高にもかかわらず常に客(患者)で混み合っている。若いオーナー院長は脳神経、脊椎外科の専門医だ。臨床実績豊富、学会活動も活発だ。

だからこそ院長の技術を信頼してビスケは手術を受けた。期待通りに成功した手術後のビスケの経過は順調で2週間後にはチョコマカとよく動き、人の後をついて回るビスケ本来の姿が復活していた。ビスケ共々院長に対しては大いに感謝した。自信に満ち溢れた表情の院長は次の学会発表のための申し分ないケースを成功させて満足しているように見えた。私は元気になったビスケを見て、エッフェル塔から飛び降りる覚悟で支払った治療費の額さえも忘れるほどに感謝した

19日の抜糸後、ごくありふれたレントゲン(そんなに急ぐ必要があったのか、と今でも私は思っている)撮影時に一瞬にして医療過誤は起きた。私に対しては退院後のケアに関してしつこく「絶対安静、段差厳禁」と言っていたその病院自ら(誰がやったのか特定はしていない)が、脊椎を固定するためにビスケの背中に埋め込んだ石膏にヒビが入るような不注意極まりないミスを、レントゲン台の上でプロが犯したとは信じ難い。慢心、油断、クランケ軽視があったのだろうと言わざるを得ない。

私は殺意に近い怒りを覚えたが、「今、ミスそのものを責め立てても意味が無い。急ぐべきはビスケの回復のための行動だ」と自分に言い聞かせ、感情を抑えて、その場で苦情は言わなかった。ミスした行為に関して病院を責めることはしなかった。思うにミスをした人間の価値は犯してしまったミスをどのようにリカバリーするかで決まるのだ。そこに期待したからその場では病院の非を責めなかったのだ。

しかし、過誤直後に下半身が全く動かなくなった(容態が激変した)ビスケに痛み止め注射を打っただけで帰宅ささせようとしたこと、そして6月6日の退院時には過誤をリカバーするための治療費を請求してきたことで、院長の人間性に疑いを持った。だが彼に対する不信感を露わにしてもビスケが直ちに元に戻るわけではない。「1ヶ月ぐらいかけて損傷した脊髄の機能を回復させ、5月19日朝の状態まで戻す」と言う、専門医としての院長の言葉に賭けてみるしかないと思い、快復を祈ってビスケを2週間預けたのだが・・・・。

そして退院後3日目、6月9日朝、再び下半身が完全麻痺したビスケを抱えて私はアポ無しで病院へ押しかけ、言いようのない怒りをギリギリのところで抑えながら、病院が次に打つことができる具体的な治療方法を院長に問い質した。彼は「リハビリとレーザー温熱治療を続ける」と言う。しかし再手術以降これまで2週間続けた治療をさらに繰り返すだけで事態が俄かに好転するとは到底信じられなかったので悩んだが、このままビスケを連れて帰っても私には為す術がない。「誠意と責任感をもって努力してほしい」と院長に告げ、もう少し我慢するようビスケに言い含めて入院させ、三度目の正直に賭けた。

ビスケが治ればそれで良しとしよう。煮えたぎるマグマが詰まった堪忍袋の緒を切らなければならない事態とならぬように祈るのみだ。

5/28/2017

ビスケ、再手術後3日経過・・・。

24日の夜に再手術をして、27日正午過ぎに面会&経過説明を聞きに病院へ行きました。ビスケはまだ自力では立ち上がれません。4月30日の手術以前のように自身の意思で股関節を動かすことはできないようです。

手術の記録動画で下半身麻痺の原因となった状況を見せられました。強い力を加えられたことで上へせり出したのでしょう、椎間板の大きな塊が脊髄のほとんどを押しつぶしていました。悲惨な映像でした。これが一瞬で起きたのですから、脊髄に与えられた衝撃は相当なものであったはず、神経損傷の度合いが心配です、と医師自身が語っているのですからこちらの不安は増す一方です。

麻酔事故のリスクを避けて手術を短時間で終わらせるため、脊柱の固定はしないまま縫合してあるということなのでその部分の強度にも不安は残ります

入院中のビスケの個室は小さなステンレスのボックスでした。長期にわたる抗生剤とか鎮痛剤等の薬による副作用があるのでしょう、3月末ごろからビスケの聴覚機能は急激に消失しているので声をかけても気がつきません。匂いでやっと僕に気がついたビスケは膝行り寄って来ながらウチへ帰りたいと無言でせがみましたが、19日朝の状態まで回復させるべく全力を傾注すると言う医師の言葉を信じて、断腸の思いで病院へ置いて帰りました。

生後2ヶ月後から兄貴分のファンキーとともに人間の家族と同じようにして暮らしてきたビスケには寒々しいステンレスの箱は耐え難く、不安な環境だろうと思います小さい頃から我慢強い性格のビスケなのでじっとこちらを見つめるだけですが、言いたいことは山ほどあるんだろうと思います。

この後は赤外線照射による温熱療法とか、リハビリプログラムを試す予定だということです。僕の寿命を大幅に削ってもいいからビスケを歩けるようにしてやってくださいとご先祖様に祈るのみ。