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2/14/2018

ビスケ、危機脱出か。



9日間連続でステロイド剤を服用して痛みは和らぎ、じっくり打ってもらった鍼のおかげもあったようで、立ち上がることも困難な状態にまで麻痺がぶり返していたビスケの症状はかなり改善された。

しかし、悪化直前1月30日に雪上に残した足跡と比べると、まだまだ後肢の運びは不安定。寒い中での散歩は早めに切り上げて背筋のツボ周辺を温めながら養生。

【2月12日の朝散歩】

 【1月30日の朝散歩】


2/07/2018

ビスケ、症状急変。



2月1日、散歩を終えて家に入ろうかという頃に異変発生。
左前肢を着地して踏ん張れず、大きくビッコを引き始めた。そのせいか後肢の動きまでぎこちなく、おかしくなっている。補助輪を外すと四つん這いの姿勢を維持することが極めて困難になってしまった。痛みも感じているようで息遣いが激しい。

散歩中に変わったことも無かったはずなのに、急激な症状の変化にビスケ自身も戸惑っている様子だ。翌日になっても痛みはある様子で、歩様の容態は変わらず、というか、前に進もうとしない。排便、排尿は介助してやらないと危険な状態に・・・。昨年8月初旬の退院直後からしばらくの期間の症状に逆戻りしてしまった。

理学療法で診てもらっている先生の診察日を待って、5日に病院へ行き、まずは痛み(さらに、あるかもしれない炎症)が収まるかどうか、ステロイド剤を処方してもらった。5〜6日間様子を見て、変化が無いようであればCTかMRIで問題箇所を特定しなければならないとのこと。(脊椎の手術痕には金属のインプラントが入っているが、MRI撮影は可能なのか?)腫瘍の可能性も考えなければならないと言う。

ステロイドのせいなのかどうか、食欲は旺盛。便と尿の状態には異常は無い。
安静状態を保ち、9日の診察、診療日を待つ。

12/30/2017

ビスケ、ストレッチメニューを追加してリハビリ続行



医療過誤による脊髄損傷から7ヶ月経過。再手術も再入院も効果なく、下半身麻痺のまま退院してから4ヶ月間、地道なストレッチと補助輪歩行を続けた結果、12月に入ってからなんとか自力で立てるようになり、ふらついたり転けたりしながら歩くこともできるようになってから、主治医の薦めもあり、米国テネシー大学公認の動物理学療法認定資格を持つ獣医師の勤務する病院を訪ねて、理学療法を始めてみた。

すっかり衰え、働きを失った各部の筋肉を回復させるための様々なストレッチを指導してもらって毎日朝夕実施している。


排泄の開始と終了をコントロールできないという症状にはほとんど変化が見られないものの、歩様に関しては少しづつ、少しづつ、回復しつつあるように思える。

また、12月18日に試験的に施してもらった鍼治療で、排尿時の垂れ流し状態が少し改善されてようにも見える。膀胱以外にも、直腸とか肛門などの制御機能に効くツボがあるならば、用足しをするときに踏ん張る筋肉の回復と相まって、ビスケ自身も日常生活がもう少しラクになると思うので、年明けから本格的に鍼治療を行ってもらう予定だ。

11/12/2017

ビスケ、補助輪外して吊り下げリハビリ開始。11月11日。

5月19日、レントゲン撮影時の不注意な医療過誤により下半身完全麻痺。
5月24日、再手術。
      脊髄損傷の状態が深刻で麻痺は改善されなかった。
      その後治療のために長期入院したが事態は変わらず。
8月5日、 病院院長が「回復させる見通しが立たない」と言ったので、退院。

以後、自宅室内で前肢のみを使ってのイザリ移動を自由にさせて、上半身の筋力回復に努めた。一方、排泄のコントロールはビスケ自身の意のままにならぬ状態が続く。屋内でトイレ箱まで行こうとするのだが、行き着くまでに大も小も漏れてしまい、介助無しでは床と自分の身体を汚してしまう。

その後も毎朝夕、補助輪の使用と散歩後のストレッチで、後肢の感覚を回復させるリハビリ続行。しかし排泄のタイミングの調節はできないままで、「出している」ことはわかっているようだが「出し切った」感覚がつかめていないから排泄途中で歩き出し、特に排尿時には足元が著しく汚れる。

9月末、後肢の感覚が少し戻ってきて、「酔っ払いの千鳥足」のごとき歩様で室内をうろちょろするようになった。最初の手術時に、脊椎の湾曲を矯正しないまま石膏で固められて、酷い傴僂状態になっているので、進む方向を変えたり、振り向いたりするとカンタンにコケる。排泄コントロールは相変わらずできていないので屋内では常に床面を注意していなければならない。

10月下旬、フラつきながらも歩く時間が増え、腰砕けになってペタンと腰を落とす回数が減ってきた。後肢の筋肉が徐々に戻ってきている。しかし神経の麻痺は以前と変わりなく、僅かに残された神経回路を使って脳と後肢が信号をやり取りしているのを、回復した筋肉が頑張って支えているといった感じだ。排泄コントロールは相変わらずできていないので、出したウンチの上に尻を落としてしまうことが多い。

11月に入って、(室内で)大好きなゴルフボール遊びを要求するようになった。元気な頃のように、繰り返し投げられたゴルフボールを飽きもせず回収してきてはまた投げさせる。ボールを追いかける姿は依然として千鳥足ではあるが、ほとんど転倒することはなくなった。補助輪使用時の歩行もスムーズになった。



11月11日、散歩時に補助輪を使わず、クロス型の胴輪(ハーネス)を流用して後肢を吊り上げるハーネスとして歩かせてみた。



それほど強く吊り上げていなくても、なんとか左右の後肢を交互に繰り出して前進しようとしている。しかし後肢の筋力は回復していても、脊椎の湾曲と僅かな神経伝達量のために、微妙なバランスをコントロールすることは難しいようで、排尿、排便のための姿勢を維持することは極めて困難。

以前のビスケの、力強さ、俊敏さは見る影もないが、まあしかし、下半身完全麻痺状態から、よくぞここまで頑張ってくれたものだ。ただひたすらビスケ自身の「歩こう、動こう」という意思の力のなせる技だ。この三ヶ月間、ビスケの前向きな姿勢には胸を打たれた。

再手術後の二ヶ月間、「見た目ばかり立派、口先だけ患者さんファーストの病院」の小さな箱の中に閉じ込められていたことが、損傷した神経の回復を絶望的にした、ということでなければいいのだが・・・。

大小の排泄がうまくコントロールできないということについては、ビスケ自身も不甲斐ないと思っている様子なので、神経伝達回路が今の状態よりもさらに改善されることを祈ってリハビリに励むのみ。

9/30/2017

ビスケ、元気にリハビリ中、だが・・・。

責任放棄の医療過誤病院を出てから2ヶ月弱経過して、ビスケは元気にリハビリ中だが、下半身麻痺の症状は退院以来ほとんど改善していない。しかしながら精神状態は良く、腸内バランスも健全に回復してきたようだ。とは言うものの油断はできないので代謝機能の低下を防ぐために甲状腺ホルモンを服用し、リハビリ補完のために各種サプリメントも欠かせない。

相変わらず便意を催すとトイレの場所へ到着する前にウンチは漏れてしまうが、適度な硬さがあるので悲惨な状態には至らないことがせめてもの救い。オシッコは散歩で外へ出るまで懸命になって我慢してくれるようになったが、排尿が終わったかどうかをはっきり自覚できないままの状態で歩き出してしまうので足元がその度に汚れる。

春以来の度重なる長期入院の経験をしたからなのか、極度の分離不安状態に陥っているビスケだが、歩けないことで茫然自失状態であった頃よりも自力で歩こうとする意思を強く持っているようなので、現在の自宅リハビリに加えて、今後新たに理学療法を試すかどうか検討中だ。

5月19日にビスケの脊髄をへし折った後、「責任を感じている、償いをする」と口先だけで、3ヶ月もビスケを狭い檻に閉じ込めていただけの病院の院長は、未だに何の償いもしていない。


9/01/2017

ビスケ、補助輪使って自宅リハビリ開始。8月7日。

8月7日、補助輪仕様のリハビリ開始。

麻痺している後肢にわずかに残っている神経伝達回路を覚醒させるためのリハビリにはこうした補助輪を使うことが一般的らしい。吊り上げず、引き摺らず、微妙な高さで後肢を地面に触れさせ、歩様感覚を呼び覚ますというわけだ。

入院中に使っていた(と聞いている)補助輪を持ち帰って、朝夕に用足しを兼ねて数分間づつ「歩かせて」いる。これなら排尿で自分の身体を広範囲に汚す心配はない。大便に関しては「しゃがんでいきむ」という姿勢が取れないので、ビスケ自身に違和感があるのだろうか、一箇所にとどまって排便できず、塊を落としながら前進してしまう。尻もちをついたまま自分のウンコを自分のお尻で押しつぶしてしまうよりは快適だと思うが・・・。

帰宅後この補助輪をにビスケ装着して見て、ちゃんとセッティングされていないということがわかった。ウンコの出口は上の補強バーが邪魔をしているし、歩様のリハビリを補助する器具だというのに、前進時に一方の脚が後方へ残ると、その脚を下の補強バーが容赦無く前方へ突き飛ばす、まともな脚運びを阻害している。親身になってリハビリをやってくれていたとはとても思えないね。「ワンちゃんの気持ちに寄り添う医療を心がけてます」なんて大ウソな病院。

また、入院中使用時に地面からの排尿の跳ね返りが両車輪にかかったものと思われるが、車輪全体にねっとりとした黄色い汚れがビスケの抜け毛とともに付着したままだった。おシッコの匂いが鼻を突く。立派な建物の病院のわりには衛生観念は希薄だったんだね。

回復のめどがいつになるか見通しの立たない状態なので、もう少し研究して本格的な補助輪をどこかで製作してもらうとして、とりあえず彼方此方いじくりまわして当面の問題は解決した。ウンコは補強バーに邪魔されることなくスムーズに下へ落ちるようになった。左右の後肢を交互にうまく動かすことができなくても、残った一方の脚が補強バーによって前へ押されることなく、下敷きにもならない位置と高さにセッティングした。

ビスケ、久しぶりの自宅で落ち着くも、不自由・・・。8月6日。


8月6日、ビスケにとって久しぶりの自宅。何もかも以前と同じであることを嗅覚と視覚で確認しながら、ホッと一息ついて安心していることがよくわかる。ビスケの表情は一気に良くなった。

最初の手術(4月30日)以前と違っている点は、だだっ広い田舎家の中を自分の脚で自由に動き回ることができないこと。段差の大きい和室部分へ移動するには人の手助けがなければ不可能になったこと。この後肢麻痺状態が続くようなら、就寝時にヒトのベッドに登ってきて、寒くなれば猫のように布団の中へ潜り込んで熟睡する、などという贅沢は、望むべくもない。

退院初日、リビングルームに緩衝マットと夏布団を敷き、ここにビスケを寝かせた。僕はその横でソファ寝。とりあえず寒い季節が来るまではこの状態で暮らそう。そして深夜、午前2時過ぎ、なんとなく異常な雰囲気で目覚めた。終夜灯の下、ビスケが居ないことに気づいた。かすかに香ばしい匂いが漂ってくる。事態を察知してリビングルームからバスルームへつながる方向へ急いだ。ビスケは廊下の終夜灯の下で尻もちをつき、呆然とこちらを見上げていた。廊下へ設置した60cmX40cmの仮設トイレの中ににわずかながら排尿した後があるものの、その遥か手前におシッコの海が・・・、そしてその先数カ所に大きめのウンコが散乱しており、いくつかは自分のお尻で押しつぶした跡がある。あたり一帯にはおシッコとウンコだらけ・・・。

状況から推測するに、便意を催して目覚めたビスケは後肢を引きずりながら仮設トイレに向かった。しかしおシッコが間に合わなくて、途中で床上に大量にに排出してしまった。それでも尿の海の中に倒れこまなかった証拠におシッコ溜まりは石の床の上で綺麗に表面張力したままで乱れていない。その先へ進んだところで、制御できなかった肛門からウンコが出たのだろう。その場所で踏ん張ろうとしても、後肢で下半身を支えることはできず、ウンコの上にお尻を落としてしまった。それでも頑張って仮設トイレまで、前肢だけで体を動かし、到達して、残りのおしっこを出し切った。しかしそこからリビングルームへ帰り着くにはウンコの山とおシッコの海を横切らなければならない。今のビスケには不可能だから、困り果てて控えめに声を出したのだろう。

ビスケの身体を綺麗にし、床の後始末をしている間、ビスケは無言で、申し訳なさそうな眼差しをこちらへ向けたままだった。

後肢以外の神経回路についてもちゃんと働いていいないのだ。 排尿そのものはできているが、尿を出すタイミングは自分の意思でコントロールできないようだ。明らかに自分の感覚と実際に排尿されるタイミングには大きなズレがある。排便に関しても自分の意思の通りにはコントロールできていない。便意を催してからその然るべき場所へ移動しようとするのだが、その前にすでに便は肛門から出始めている、ビスケ自身は排便が終わったと思った時点では、まだ便が出続けている。直腸や膀胱と脳との間での信号のやり取りは途切れ途切れであることが見て取れる。

ビスケは自身が望まぬ場所で排尿、排便をしてしまい、汚した場所を見つめて明らかに困った顔をする。黙って片付けをするこちらを見つめたまま身じろぎもしない。ワンコだって「垂れ流し」はしたくない、恥ずかしいと思っているのだ。





ビスケ、「打つ手がない」と院長から言われて連れ帰った。8月5日。

8月5日、ビスケとの面会。
週末ということもあって、病院は商売大繁盛だ。診察は40分待ち。院長から話があるのでしばらく待ってくれと言うから、2時間以上をビスケとともに過ごし、やっと話を聞いた。

院長「入院治療のビスケのストレス蓄積を考えると退院して自宅でリハビリをする方が良いかと・・・・・・・・・・・」

私「そんなことは、私がこれまでに何度も申し上げている話じゃないですか。それなのに院長が『責任を持ってビスケの神経回復に努めたい』と言い続けたから、ストレスのの負荷を覚悟で長期入院を続けさせているんですよ。」

院長「徐々に機能は回復するのではないかと期待はありますが・・・・・・・・・・」

私「重度の脊髄損傷を負ったヒトやイヌが『自分の足で歩きたい!』と言う強い意思で厳しいリハビリを続けて、奇跡的な回復をした話、事例は私も知っていますよ。しかし今の院長の立場でビスケにそれを言うのはあまりにも無責任では?」

院長「・・・・・・・・・・・・・」

私「この先々、ビスケの麻痺回復のために、新たに医学的、医術的に具体的な打つ手があなたにはあるのですか?無いのですか? 何か他の手段を考えているのですか?」

院長「医学的には云々カンヌンだが・・・・・具体的にできることに関しては云々カンヌン・・・・・・」

私「それは、もう、わかりやすくハッキリ言えば、すっかりお手上げ状態だ、ということなんじゃないですか?」

院長「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

私「そういうことならば今日、直ちにビスケを連れて帰ります」

院長「え、今日ですか・・・・?」

私「これ以上ビスケをここに居続けさせる意味がありません。そんなことも有り得るかと考えて請求書を用意して有りますので確認して支払いをお願いしますよ。(1)これまでお支払いしたビスケの医療費は全額返還していただきます。(2)今後のビスケの生活介護費用を60ヶ月分(想定されるビスケの寿命生活期間充当)を補償して頂きます。(3)これまでのビスケの医療データは全てを引き渡していただきます。」

院長「治療費の返還と医療データ引き渡しについては・・・了解しますが・・・・・・、介護費用の補償はできません」

私「そうですか、これから先、障害を抱えたビスケの生活は介護、介助がなければ成り立たないことはご理解なさっているはずですよね?。しかしそれについてあなたはあずかり知らぬ、関知せずと言うわけですね? 院長は何度も自らの医療過誤の責任を認め、責任を取るとおっしゃったはずです。何度も、「償いをする」と発言されたはず・・・。」

院長「・・・・・・介護補償は・・・、この金額は・・・・・できません・・・・・」

私「そうですか・・・・、院長の言う償いはやはり口から出まかせだったと言うことを理解しました。当方は法的に争うつもりはありません。あくまでも院長がおっしゃった重大なミスを自ら償うというお気持ちがいかほどのものであるかということに強く期待しているだけです。再考してください。」

院長「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

私「銀行営業日の週明けまで2日間あります、それまでによく考えておいてください」

院長「・・・・・・・・」



帰宅できるんだとわかって喜ぶビスケをクルマの後部座席に乗せて、不注意な医療過誤を起こしたにもかかわらず償いを拒否する病院におさらばした。途中でビスケの主治医であるK獣医師の病院へ立ち寄り、本日退院の経緯を報告した。K獣医師は医療過誤を起こしたこの病院との交流があり、立場的には複雑な心境であるとは思うが、事の顛末、起きたことの全てを曖昧にしておきたくなかったからあえて話した。

医療現場では不可抗力で起きる事故というものもあるだろうということは理解しているから、ビスケの身体に起きたことが手術中に起きたことであったのなら、ビスケにとって不都合な結果に終わっていたとしても、これもビスケの運命だと受け止めることもできただろうが、今回のケースは医療従事者にあるまじき不注意から起きた初歩的なミス、許し難い医療過誤であったから看過できないと考えている。ビスケの下半身は完全麻痺しているのですよ。

さらに、事故直後、重大な事故を起こした事実を隠そうとした、下半身全体が麻痺硬直し、尻餅をついたままで呆然としているビスケを横目に「今日は痛み止めを打っておきました。予約入れましたので3日後に改めてご来院ください」と言って、そのままビスケを連れて帰らせようとした、卑劣な態度をとったことは許せない。レントゲンを撮る前まではビスケは元気一杯に走り回っていたのだ。この院長の獣医師としての能力は存分に発揮されて、ビスケの重度の椎間板ヘルニアは手術によって完璧なまでに治癒していたのだ。院長はやがて学会で発表するときに使うであろう予定の「完治して走り回るビスケ」の姿を、満足げに動画に撮っていたのだ・・・。

の医療過誤の罪の重大さはこの院長自らが最もよく理解しているはずだが、しかし、まぎれもない医療過誤であるにもかかわらず、そのことを彼が認めたのは翌日になってからだった。言い逃れができないなと判断してからは、その後2ヶ月間は「責任を果たしたい、償いをしたい」という言葉を発し続けたが、しかし所詮口先だけだった。責任を果たさない、倫理観の欠けらも無い。



8/03/2017

ビスケ、連れて帰れなかった。8月1日。

8月に入った。ビスケに面会。

ステンレスボックスから出てくると猛烈にスリスリしてくる。
三日おきに面会に来るたびに、ビスケのスリスリ度合いが強くなる。
帰りたい気持ちがますますエスカレートしている。

ビスケの下半身の麻痺症状に変化無し。特に左脚には全く感覚無く、真っ直ぐ突っ張ったまま内側に捻じれている。したがって自力で立ち上がることは依然として不可能。
甲状腺ホルモン、抗生剤、下痢止め、サプリメント(種類不明)等々を飲んでいるという。
今日はビスケを家へ連れて帰る用意をして来たのだが、院長不在だったので中止した。

排尿のキレが悪くなっている。排便もスムーズに行われていない。

大便を自らの意思で排出しているというよりも、直腸に溜まったものが後から降りてくるものの圧力で無理やり押し出されているといった感じだ。麻痺が脚以外の部分に及んで各所、各機能に神経障害が出てくることが怖い。

ビスケの世話係をしてくれているという二人の女性看護師の、ビスケに対する優しさがホンモノであることを信じて、今日も一人で病院を後にした。


【俺の元気な脚を返してくれ!】


7/29/2017

ビスケ、麻痺症状に変化無し。7月28日。

7月28日のビスケ、入院しているステンレスボックスの扉を開けてやると、前肢だけで転げ落ちるようにして外へ出て、身体をすり寄せる。ビスケがこの場所で心穏やかに日々を過ごしているわけではないこと、家に帰りたい気持ちが強いことがひしひしと伝わってくる。

介助して立ちあがらせても、そのままの姿勢を維持することはできずにビスケの下半身は崩れ落ちてしまう。23日となんら変わりは無い。二週前にはあった肉球の痛覚反応は全く消えているし、痙攣反応も全く無い。にもかかわらず院長は平然と「医師の目から専門的に見て後肢には徐々に随意反応が見られるようになっている」と言う。専門家だろうが素人だろうが見れば解る。後肢はダラリとぶら下がったままだ。

7月9日に補助輪を使ってリハビリを始めた直後、わずかに3〜4日間、後肢左に随意反応とやらが見られたが、15日以降、下半身の動きは急速に失せていき、麻痺は再び進行している。今日も前肢を使って立ち上がることはどんなに頑張ってもできなかった。左右後肢の大腿部から下が全く機能していないのだ。面会している三時間余りの間に、尻もちをついたままで大便を三度漏らした。我慢できずに出す大便を自らのお尻の下で潰したまま、身動きができない、ビスケにとっては屈辱的だ。

レントゲン撮影時の医療過誤による脊髄損傷は大きかったのだと考えざるを得ない。この先々重篤な排尿障害、排便障害が再発する可能性を排除することはできない。そうでなくても日を追う毎に体調は全般的に悪くなりつつある。血液検査によって総合的に免疫力が落ちてきていることは明白になっている。それを投薬でいつまでもカバーし続けることはできない。薬漬けのビスケの肉体にはいずれ大きなツケが回ってくる。

抗生物質の投与は1月ごろから始まって既に7ヶ月、ビスケは短期間に二度にわたる手術を受け、抗生物質、痛み止め剤等の各種薬の投与を受けてきた。ヒトもイヌも薬剤性難聴という、回復しにくい副作用に留意しなければならないことぐらいは知っているから、「ビスケは3月ごろから急激に耳が聞こえなくなっている。抗生物質などの副作用ではないかと思うが・・・」とさりげなく振ってみたが「そんなことはない」と院長は言下に否定した。素人の意見に耳を貸さない医師特有の態度に誠実さは感じられない。

また、「先生の見解に相違するが、ビスケの症状が良い方向へ向かっているようには見られない」と指摘すると、三度目の完全麻痺直後に起きた「排尿障害、膀胱炎症状を治療努力で改善させた」と唐突に、強い口調で主張した。そもそもビスケがそのような事態に陥った因果関係はいかなるものであったのかということを彼は考慮していない。とかくヒトという動物は自分に都合の悪い状況下で本能的に自己防衛意識が働き、攻撃的な態度をとる、もしくは沈黙する。

医療過誤から70日が経過した。具体的な見通しと責任の果たし方についての院長の言葉はどんどん曖昧になっており、最近は沈黙が多い。自ら(病院)が「加害者であることは自覚はしている」と繰り返し言うが、しかしその責任の果たし方については、当初の「医療事故以前の状態へ戻すべく努力する」から最近は「努力はするが、回復の可能性についてはなんとも言えない」という方向へ後退している。にもかかわらず、回復させることを「あきらめてはいない」としか言わない(言えない)この医師は、当ての無い希望の残酷さとか、脊髄損傷が及ぼす影響が後肢の麻痺にとどまらず内臓機能にまで及ぶ危険性とか、長期入院の諸々のリスクとか、ビスケの家族が被っている心の痛みと経済的損失についてまでは思いが至らないのだろうか・・・。

ビスケのストレスを最小限にして回復治療を行うのだと言う医師としての決意が真剣なものであるならば、直ちにビスケを自宅に帰し、日に三度のリハビリとレーザー照射治療、その他諸々の各種治療や検査も含めて、毎日往診をすると云うぐらいの覚悟があってもよかろう。ビスケにとって、下半身不随にされた罪を償ってもらう方法としてそれ以上はあってもそれ以下は無いが、彼にそこまでの覚悟は無いだろう。何れにしても医療過誤のあった5月19日の朝の状態までビスケが回復しなければ、彼の言うところの「償い」が完遂できたと言えないことだけは確かだ。

周辺で高い評判の病院経営、そして専門医としての豊かな知識と優れた技術、これまでの豊富な治療実績などを信じているからこそ、そこに一縷の望みを託してここまできたが、もうそろそろ決断しなければならない時かもしれない。手遅れにならないうちに。


7/23/2017

ビスケ、下半身完全麻痺に逆戻り。7月23日


5月19日に医療過誤、24日に再手術、6月6日の退院直後から再び下半身完全麻痺して9日に再々入院、そして一ヶ月後の7月7日にやっと自力で、前肢を使って立ち上がり、その後の補助輪を使ったリハビリで7月11日には左足先に痛覚が戻り、15日には何度も何度も自分の意思で器用に立ち上がり、よろけながらもウロウロすることができていた。しかし4日前の19日には左脚が麻痺状態に戻っていて、立ち上がることはできても姿勢を変えようとすると簡単に倒れてしまっていた。


そして、今日、右足も含めて腰から下は三度目の完全麻痺。医療過誤直後の状態に逆戻り、動き始めていた左脚と元々動いていなかった右脚の両方が完全に麻痺している。4日前には反応していた肉球の痛覚も全く無くなっている。後肢が木偶の坊状態で突っ張っているから前肢を使っても立ち上がることはできない。膝行りで移動することすら困難になっていた。上半身の筋肉がかなり落ちているので、2Kgも痩せたにも関わらず自分の体重を持ち上げることができなくなっているのだ。

ビスケの眼差しは茫然自失。「なぜ動けないんだ・・・?」と言っている。7週前、そして10週前に完全麻痺した時の哀しげな眼差しに戻っている。


この2ヶ月間、自力で動くことのなかった右脚の大腿筋は左脚のそれの半分ほどにやせ細っている。院長が「リハビリとともに自分で脚を動かすようになっていた」とムキになって主張しても、ビスケの右脚の筋肉の喪失が、そうではなかったことを証明している。

毛艶は全身で完全消失している。数日前から大便が柔らかくなったのを薬で抑えているという。左目は赤く充血している。口内の歯肉は白っぽい、止まっていた目ヤニが間断なく出ている。同じく止まっていた耳垂れも出始めている。抗生剤投与を中止した途端に現れた症状だ。明らかに免疫力が低下してきていることを意味している。腸内環境が悪化しているのだ。

今日はいつもと違ってビスケに面会する前に院長に呼び止められた。そして「少し調子が悪くなってきている」と言われた。「私はすでに19日の時点でビスケの調子は15日よりも悪くなっているように見える、と言ったが取り合ってもらえなかった。今日は連れて帰って自宅でリハビリをするつもりで来たのだ」と返したが、院長は「全員で一所懸命に真剣にやっている。まだ諦めてはいない」と主張する。

双方の考えていることのギャップが埋まらないまま時間を無駄にし、やっとビスケの顔を見て、尻もちをついたままのビスケの姿に愕然とした。「少し調子が悪くなっている」どころの話ではない。完全に下半身は麻痺状態に逆戻りしていたのだ。怒りの感情を抑えるのに苦労した。

面会を喜び、身体をすり寄せて来て顎を膝に預ける動きが今日は全くできない、ひょっとすると痛みがあるのかもしれない。不安そうにこちらを見上げるだけのビスケを見ながら、たとえ完全介護による不自由な生活を強いられても、下半身麻痺の身体のまま自宅へ帰ることがビスケの幸せなのか、それとも体調管理に万全を期するよう医者に託して、僅かでもあると言うなら回復の可能性に賭けてリハビリを続けさせることが幸せなのか・・・、不自由な身体で暮らすストレスは容易に想像できるし、長期にわたる入院生活でのストレスもまた間違いなく大きい。思案のしどころだ。

ヒトでもワンコでも、脊髄損傷で完全麻痺した下半身を、諦めないで、根気よくリハビリ治療を続けることで、執念で、奇跡的に運動機能を回復させた例もあるということは理解している。しかし愛情と念力だけで快復させられると言えるほどに楽観的になっているわけでもない。ビスケに「まだ諦めるなよ」と言い聞かせてまた今日も一人で帰宅。

7/19/2017

ビスケ、治療は依然として捗々しくない。7月19日。

4日前に比して今日のビスケは元気が無かった。

前肢を使っての立ち上がり方が弱々しい。一度では立ち上がれない。毛艶がどんどん悪くなっている。左目が真っ赤に充血している。看護師の話では大便がさらに柔らかくなったと云う。表情が良くない。明らかに体調が悪いのだ。そりゃそうだろう。明けても暮れてもアレヤコレヤと薬を飲み続けさせられて、入院と言えば聞こえがいいが、実態は窮屈なステンレスの箱の中に閉じ込められているのだから、気丈夫に見えてもビスケのストレスは溜まる。

おまけに下半身は自分の思い通りに動かないのだからストレスは倍加する。体調を維持するのは難しい。腸内環境の悪化、つまり悪玉菌の増加で免疫力低下からくる各種症状が出ていると容易に推測できる。もうガマンの限界かもしれない。今日もステンレスボックスの格子戸を開けてやるとビスケは前肢と上半身だけを使ってこちらへいざり寄り、激しくボディーコンタクトをしてくる。自分の家へ帰りたい気持ちを思いっきり伝えようとする。

15日に比して明らかにビスケの体調は良くないし、苦労して立ち上がっても大腿部を自分の意思で自由に前後に動かすことは依然としてできていないのだ。特に右足は腰からぶら下がったまま引き摺っている。4日前はぬか喜び、やはり歩様と言うには程遠い。にもかかわらず院長は「7月末をめどに考えてます」と云う意味不明な、あるいは伏線を張るようなセリフをさりげなく発した。今日のところは思うところがあってあえてその真意を正すことはしなかった。

これまでは「1ヶ月、あるいは2ヶ月、もう少し希望を持って、もう少し預からせて・・・」と言い続けてきた院長だ。医療過誤直後に「5月19日の朝の、事故以前の状態に戻すべく、自分の知識と技術を駆使して努力します」と言ったことを彼はまだ覚えているのだろうか。手術後のビスケの脊椎がどのような状態であるのかということを考えた上でレントゲン台の上にビスケを横たわらせることをしていれば防げたはずの、実に許し難いミスでビスケの一生を台無しにしてしまったことに対する罪の意識と反省があるのかどうか甚だ疑問だ。喉元は熱さをすぐに忘れてしまう・・・。

ステンレスボックスの中で「今日もまた置いていかれる・・・・」と悲しい眼差しを見せるビスケに背を向け、診療室を出て、「そろそろキメねば・・・」と考えながら暑い中を帰途についた。


7/16/2017

ビスケ、不安定ながらも歩様に後肢が伴ってきつつある。7月15日。

ビスケのリハビリ入院生活はどんどん長期化しているが、少し変化の兆しも見られる。
4日前には動かなかった右脚が時折痙攣しており、肉球を抓ると反応するようになった。

ここ数日のリハビリで前肢を使う時間が増えたからなのか、胸骨の周囲の筋肉が僅かながら回復方向にあるようにも思える。今日は前肢を使って度々うまく立ち上がることができ、院内のなめらかな床の上を、後肢を引き摺りながらよく歩いた。と云うか、移動した。

前進するときにおぼつかないながらも後肢は追随しているが、右脚のナックルは前方向へ出すことができていないので路面状態の悪い場所では転びやすいだろう。大腿部に関しては、左右いずれもまだまだ自分の意思通りには動かせていないようで、踏ん張る位置がずれてしまうと体勢を立て直すことはできない、ずれた脚の位置を修正できないのでそのまま倒れて尻もちをついてしまう。

歩様と云うにはまだ早いが、ビスケが自力で立ち上がって、平らな場所であれば行きたい場所へ移動できるようになったと云うことは、入院生活のストレスが少しでも軽減されていると信じたい。表情から不安感とか暗さは消えてきた。前肢で引っ張って前進し、後肢を動かそうとする自らの意思が麻痺した神経を刺激して、回復に効果があることを期待したい・・・。

施術した場所の4つの脊柱が湾曲したまま固定されていることへの疑問と先々への不安はやはり拭い去ることはできないが、ビスケが自分の意思で五体を動かして歩くことのできる生活に戻ることができれば・・・。





7/11/2017

ビスケ、補助輪によるリハビリで神経回路は蘇るのか。7月11日

7月11日、今日もビスケを見舞う。

7日には尻もち状態で左後肢に痙攣が見られた。これは神経回路に変化が生じた兆しではないかと期待をしたのだが・・・。8日にリハビリ用の補助輪が完成したということで、これを使って後肢の歩様を促すリハビリを開始したという。


前肢を使って腰を持ち上げることができるようになってはいるが、見る限りにおいてこれは決して後肢の麻痺の状態が改善してきていると云うことではなく、単に前肢だけを使って立ち上がるコツをビスケが習得した、不自由な状況に適応できたということに過ぎない。8日から始めた補助輪でのリハビリを続けることで、自らの意思で後肢を動かそうとし、脳からの指令が麻痺した脊髄の回路を復活させることができるかどうか、そこにかすかな望みを託して。


補助輪への適応具合を実際に確かめようと思い、診療室のバックヤードからビスケを室外へ連れ出そうとしたら、「うちへ帰れる!」と早合点したビスケは猛烈な勢いで、そこかしこに補助輪を引っ掛けながら外へ向かって突進した。・・・。


病院の駐車場へ出ると、数多くの車の中からあっという間に我が家の車を見つけて一目散に駆け寄り、後部座席のドアの前に突進・・・。ビスケの気持ちを思うと胸が痛む。だけど自力で歩けるようにならなきゃ・・・。


7/09/2017

ビスケ、なんとか立ち上がる。7月7日。

医療過誤で下半身完全麻痺してから2ヶ月弱経過。リハビリマッサージ、レーザー照射、温浴などの治療の効果なのか、ビスケ自身の歩こうという意志の力のなせる技なのか、今日のビスケは自力で腰を上げた。左後肢のナックルは常に痙攣している。感覚が戻る前兆なのか?

左右の後肢を交互に出して歩くことはできていない。前肢の力で下半身を引き摺って歩いている。これは医療過誤直後の状態のままだ。方向転換はできない。横を向いたら腰が砕ける。尻もちをついたら膝行り歩きをするしかない。


明日、やっと歩行訓練用の車椅子が出来上がってくるという。もう少し預からせてくれという院長の言葉に希望を託して一人帰宅。



ビスケ、今日も立ち上がれず。7月1日。

7月1日。
私が面会に訪れるとお自宅へ連れて帰ってくれと訴えかけるビスケの眼差しは強く、息遣いが激しくなる。膝の上に上体を預けて動かない。不安な表情は消えつつある。悲しい哉入院環境に適応しつつあるのだ。

しかし、後肢の麻痺状態に改善は見られない。尻餅ついたまま前肢でモゴモゴするだけだ。
「少しづつ良くなってます」
「自ら脚を動かすようになってます」
などと色々、臆面もなく言う院長に不快感を覚える。
「自ら立ち上がることができないし、何も改善されているようには見えないが・・・」と反論してみるがそれも虚しい。

歩行のリハビリ用に製作していると言う車椅子は修正に次ぐ修正だと言うことで未だに出来上がっていないようだ。私はまだ現物を見ていない。「可能性のある方法を試したいのでもう少し預からせてくれ」と言う院長の本音はどの辺りにあるのだろうか。

自分の意思で、持ち前の根性で頑張って立ち上がれ、歩け。とビスケに向かって言い、フィラリアの薬を飲ませ、フロントラインを滴下してから一人で帰宅した。

ビスケ、膀胱炎の症状は落ち着いた。6月28日。

6月28日、三日に一度の面会をしてきた。

看護師の女の子は、「ビスケちゃん、足を動かしてくれるようになったんですヨォ」と、気休めを言ってくれるが・・・・。相変わらず、4月30日の手術前の状態までにも回復していない。


リハビリ用の車椅子を何度も何度も調整して歩かせているというのだが・・・。

膀胱炎の症状が落ち着いておしっこがちゃんと出るようになったというのでホッとした。

医療過誤からすでに1ヶ月と1週。



ビスケ、変わらず・・・。6月24日。

6月24日、今日もビスケに面会するために病院へ行った。昼休み時間にかかったたので待合室「客」はいなかった。僕の顔を見ると神妙な顔をする院長も院内には見当たらなかった。バックヤードには看護師が2〜3名居るのみ、入院用ケージは、ビスケを除いて他は全て空っぽだった。

ビスケは小さなステンレスボックスの中からいざりながら這い出てこようとした。しかし後肢が自由に動くことはなく思いは叶えられない。抱っこしてケージの外へ出すと間も無くうんちを漏らした。体重は9Kgを切っていると言う。筋肉がどんどん落ちているのだ。胸骨周りと股関節周りはガリガリに痩せてそれぞれの骨が浮き出ている。体力の低下が心配になる。

陽が暮れて診療室内にヒト気がなくなるとビスケが悲痛な鳴き声を上げる、と若い女性看護師が言った。生まれてこのかた10年有余、ヒトとの添い寝以外では安眠できなかったビスケが、あの、小さなステンレスボックスの中で夜の闇の中、おそらく九時間以上の時間をひとりで過ごしている日々を思うといたたまれない。

女性看護師は、ビスケは少しづつよくなっていると言うが、気休めだ。下半身はブラブラだもの。後肢を動かして立ち上がることは不可能だ。4月30日の最初の手術を施した日以前よりも悪い状況にあることに変わりはない。医療過誤後の再手術からすでに1ヶ月経過している。

リハビリ用の車椅子を作っていると言う。ビスケの体躯に合わせて修正をしているのだと。その車椅子が来たら歩きながらリハビリさせると言う。限りなく信じていないが、限りなく信じるしかない。

幸いにしてビスケの食欲は衰えている様子はない。持参したビスケットも美味しそうにペロリと食べてくれた。目視するかぎりでは便の具合は悪くはなさそうだ。看護師の話によれば尿の排出は正常化しつつあると言う。同じく持参した歯磨き用の馬のアキレス腱の干物も今日は喜んでガシガシ噛んでくれた。

兎にも角にも歩けるようになってほしい。
何が何でも歩けるように、医療過誤以前の状態に、完璧に戻してほしい。

戻せ!

そう念じてまた、心の中で泣きながらビスケを病院へ置いて帰って来た。



ビスケ、再手術から25日経過。6月20日。


6月20日、面会。
病室(箱)から出て抱っこされている間は興奮が収まらない。

医者が「治療を続ける猶予期間を」と言った1か月がほぼ経過した。腰(股関節)から下の状態は全く変わらない。完全に麻痺しており、自力では立てない。介助して立たせても腰から崩れ落ちる。

排尿困難な状態からは脱したようだ。だから俺は何度も言ったじゃないか。ビスケは自分のテリトリー範囲内では排泄はしない。ひたすら我慢するのでカラダに悪い。病室(箱)のすぐ外でもいいから排泄シートを敷いてくれればそこで用をたすから、垂れ流しにさせないでくれと・・・。

膀胱炎になってから慌てて外へ連れ出して排尿をさせることにしたようだ。「先週よりも勢いよく排尿している」と看護師は言っている。排便も腰を支えて介助して、根気よく時間をかけてくれれば良いと思うのだがそこまではやってくれないだろう。俺が面会に行って抱っこするたびに出しきれていない大便を漏らしてしまうビスケを見ればそれは明らかだ。

ビスケを温浴させたら少し状態が良くなったと院長は言う。だから俺が言ったじゃないか。入院していても大した治療をしないのなら、ビスケを連れて帰って毎日温浴させて、血行促進のリハビリをするから、と・・・。今後の成り行きを恐れているのか、それとも心から自らの医療過誤の責任を真摯に受け止めているのかわからないが、彼は「もう少し時間をください」と言った。リハビリ用に作った車椅子の修正をしていると言う。

病室(箱)に戻すとビスケはうなだれる。大好きな馬のアキレス腱のガムを与えても見向きもしない。「え?今日も置いていかれるの?」と目が語っていた。まだ諦めない。

治せよ。

ビスケ、麻痺症状変わらず・・・。6月16日。

6月16日、片道一時間かけてビスケの入院先へ面会に行く。

ひょっとすると13日の状態よりも回復しているかもしれない、などと期待するも虚しくビスケの下半身は完全麻痺のままだ。それどころか後肢の筋肉の麻痺だけに留まらず、排尿、排便が著しく困難になっている。膀胱炎も発症。5月19日以前どころか4月30日の手術前よりもはるかに悪い状態だ。ブラッシングもしてやれないし、シャンプーもしてやれないのでフケだらけになっている。それでも病室(箱)を出て僕の膝の上に座っている間は終始うれしそうにしていたビスケの顔を見て少しだけ安心した。

造影剤を入れて全身麻酔してCTを撮らなきゃ新たな問題箇所の特定はできないのだが、度重なる全身麻酔も含めて小さな身体にはあまりにもリスキーな処置。三度目の手術をやるとしても、そのための全身麻酔リスクもさることながら次は感染症のリスクまである・・・。

病室(箱)に戻すと、ビスケは置いていかれることを察してうなだれた。
ギリギリまで我慢して、たとえ1%でもあるものならば院長の技術と人格を信じてみる。